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突然の回想
2009年 06月 04日
以前にもこのブログに書いたかもしれないが、ひとつのsemester(学期)に講義は13回(週)ある。今週がちょうどその13週目なのだが、今週もassignment(宿題)の提出などがあってなかなか盛りだくさんだった。

火曜日にひとつassignmnemtの提出があったのだが、それをなんとか無事提出できてなんだか気合が抜けてしまい、昨日水曜日は別のassignmentをやらなければいけないのに全然エンジンがかからず、結局一日ほとんど何も進まなかった。夜10時ごろに、さすがにそろそろやらないとと思って机に向かったところで、昨年のCET(英語学校)時代の懐かしい友人からmessengerで話しかけられた。いつも勉強するときはmessengerはオフラインにしているのだが、このときはたまたまオンラインになってしまっていた。彼女はCETで同じクラスだったのだが、英語の試験(e-test)に落ちてしまい、さらにそのタイミングで親父さんが病気になってしまったということで今は一時的にhometownの香港に帰っていて、どう香港は楽しい?大学院は宿題ばっかで大変だよ。なんて話しながら、次の日のQuiz(小テスト)のための勉強をするのも忘れて2時ごろまですっかりチャットを楽しんでしまった。彼女はオーストラリアでinternational schoolの高校を卒業したのだが英語のwritingがとても苦手で、結局大学は諦めたようでこの7月からTAFE(専門学校)に行くためにシドニーにまた戻ってくるらしい。オーストラリアは大学教育も充実しているがTAFEという専門学校も大変に充実していて、TAFE卒業というのは就職にも強く非常に評価される学歴のようだ。

香港と言えば、このブログで何度も紹介しているJMMの記事で、香港在住のふるまいよしこさんというかたの『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』第151回がまた面白かった。恐らく一週間後にこちらにUPされると思うので興味がある方はぜひ読んでみていただきたいのだが、それを読んで知ったのだが今日はなんと中国の天安門事件20周年なのだそうだ。天安門事件は衝撃だった。年齢を計算してみるとあのとき僕は高校二年生で、家の引っ越しのために千葉県木更津市の某私立高校へ転入した直後のころだ。国の軍隊が自分の国の国民に向かって発砲しているという事件を各国のジャーナリズムが報道していて、僕もニュースステーションとその後のニュース23をかじりつくように見ていた。その当時はよく知らなかった中国だったがこの事件をきっかけに嫌いになり、その後社会人になってからチベットを訪れてチベット仏教のお寺に書かれた毛沢東の絵(落書き)を見てさらに中国政府が嫌いになった。このブログに何度も書いているが、僕は仲の良い中国人の友人が何人かいるのだが、もちろん彼らのことは好きで、政府のことがあまり好きではない、ということだ。驚くことに中国人の友人たちの中にも僕のこの意見に同意してくれる人が何人かいて、彼らも原因不明のインターネットの不調や、中国からは見れないがオーストラリアからは見れるサイトの存在などを知ったりして結構不信感を持っているようだ。

さてその天安門事件が1989年だが、その年はベルリンの壁崩壊もあった年で、この頃は東欧で多くの歴史的な事件が起こった時期だった。その後僕は1991年の春に大学受験に失敗し予備校の寮に入って一年を過ごしたが、その年の夏にソ連でクーデターが起こった。その当時寮にはテレビがなかったのでニュースは見れなかったが、新聞を隅まで読んだりして一人エキサイトしていたのだが、友人たちは「ふーん、あっそ」ってな具合で全然興味はなさそうだった。しかしその何日か後に宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa Fe」の広告が朝刊に出たときは寮の中が朝の6時ごろから騒然となっていた。僕も朝6時半ごろに友人に「大変だ!」とたたき起こされて、今度は日本でクーデターでもあったのかと驚いたが、「大変だ!ついに、ついに、宮沢りえがヘアヌードだ!」。

10代のころは親父のことが大嫌いだった。予備校生だったころは、不本意な形であったが親元を離れることができた喜びと、プレッシャーと言うか大学入試に対する恐怖心の中で過ごしていた。僕の親父は東大出身なのだが、僕はいわゆる”偏差値”は良くなかったので、親父に対するコンプレックスでいっぱいだった。親父がいない別な世界に行きたかった。高校三年の時に「国立大学以外は行っちゃいかん」「早慶以外の私立大学には行っちゃいかん。そんなところは大学でもなんでもない」などと言われていたが、しかし自分の偏差値ではどうにもならない状況だった。結局某私立大学に補欠合格して入学の資格があったのだがそれを蹴って浪人した。某W大の入試で手も足も出なかったときは、家に帰って来ていざ夕食と言う時に、自分が情けなくなって涙が止まらなくなってしまい、結局その日の夕食は食べられなかった。

浪人することが決まり予備校の寮に入ったわけだが、そのときに寮費を一年分一括で払い込まなければならないという話があり、しかし家のローンで余計な金はないなどと親父に言われていた僕に、おばあちゃんが笑顔で100万円出してやるよと言ってくれた。その後母親が何年かかけてそのお金は返したそうだが、しかしおばあちゃんがあの時笑顔で100万円出してくれなかったら今の自分はない、と今でも思っている。そのおばあちゃんは2006年の9月に亡くなったが、その直前の8月に帰省した時に、おばあちゃんはなぜか突然僕の受験の時の話を始めて、楽しかったと言っていた。浪人の年にはさすがにいくつか大学に受かったので、この大学に受かったらこっちの大学には入学金を払わない、などというフローチャートのようなものができていたのだが、入学金を立て替えてくれることになっていたおばあちゃんにはちょっと複雑でわかりにくいフローチャートで、幸いいくつか吉報が届いたこともあり、毎日「受かったの?じゃあこっちの大学には入学金払うの?払わないの?電話の声が聞こえないよ」といった騒動におばあちゃんを巻き込んでしまった。そんなすったもんだが当時は楽しかった、とおばあちゃんは満面の笑みで話していた。2006年の9月におばあちゃんが亡くなったが、その年の12月に行ったアメリカ出張中に退職と留学を決意して、何人かのかたへ相談のメールを出張先から送信した。

浪人時代はずっと機械工学科を志望していたが、予備校の物理の授業があまりにも面白くて、受験の直前には物理学科も受けてみたくなり1カ所だけ物理学科を受けた。がダメだった。その時の予備校の物理の先生は山本義隆先生だった。当時の僕は当然知らなかったのだが、若いころの山本先生は将来ノーベル賞を取るだろうと言われていた優秀な若手研究者で、と同時に東大の学生運動のリーダーだった。国内留学先の京都大学の研究所から東大紛争の渦中へ戻る際には、師であった湯川秀樹が涙したそうだ。そしてその東大紛争の年に僕の親父は東大を卒業したが、その卒業式は東大紛争のため中止となった。

その親父は今中国で仕事をしていて、特別大きな会社ではないが仕事は大変に充実しているようだ。10代のころには大っきらいだった親父だが、中国で一人で住んでいるというのはときどき心配になる。その反面で、さすがに今はないが20代のころは時々10代だった頃の自分がよみがえって来て葛藤があった。僕が高校生だった頃は「髪形を気にしている時間があったら、丸坊主にしてその時間も勉強しろ」と怒鳴られ、僕は子供のころから高校3年まで坊主頭で、予備校の寮に入寮する日は一休さんばりの五輪刈りだった。浪人の一年が終わり一度実家に戻った時、5歳下の弟は長い髪をムースでセットして、さらに、僕がお年玉を貯めて買おうとしたのが親父にばれて一晩怒られ結局買わなかったスーパーファミコンを持っていて、「あー、これ、お年玉で買ったー」と言いながらドラゴンクエストをやっていた。その後彼は二浪ののちに禁断だったはずの私立大学の薬学部へ進むのだが、一浪してダメだったときに「二浪させてやってくれ」と両親に頼み込んだ兄の姿を彼は知らない。その後彼は大学院まで進み、大学院の修了直前に金がなくなり「兄ちゃん、金貸してくれ」と涙ながらに頼むので20万ほど貸してやったのだが、その後の彼は「あー金?いくら借りたっけ?」と鼻クソをほじりながら答え、その後も借金を踏み倒し続けた。そして昨年兄を追い越して結婚したのだが、冗談でも貸した金の話をすると嫁さんの目がウルウルになってしまうので今はもう追及しない。かくいう僕も昨年シドニー留学が決まった時に送金の段取りを間違えて日本円が足りなくなったときに親から100万円借りたのだが、親兄弟の中の借金は踏み倒したほうが勝ちだということを学んだので、これはこのまま踏み倒す予定である。

とってもセンチメンタルな気持ちで書き始めた今回のエントリーは、なんと「借金は踏み倒せ」というオチで終わってしまうのか。36にもなって自分で自分が情けない。天国のおばあちゃんも情けないと言っているだろうか?それとも、いいからそのまま踏み倒せ、と言ってくれているだろうか。どちらを言っているにしても、満面の笑みで言ってくれているはずであることは間違いない。

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by manakano1972 | 2009-06-04 23:00 | 日々の雑感
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