今までのW杯と、そのとき僕が感じていたこと。
2010年 05月 02日
こんばんは、Nです。

やばい。早く卒業論文を進めないと、やばい。
ワールドカップが始まってしまう。
勉強が手につかなくなってしまう。

韓国代表のメンバーはすでに先週発表された。日本代表のメンバーは来週の月曜日に発表されるらしい。

というか、すでにかなり気になっている。
4年に一度、というのは、誰が決めたのか知らないがなんとも絶妙なタイミングだと思う。1年間なにもなくて(南米などではすぐに予選が始まったりするらしいが)、その後2年もかけて予選をやって、4年目に本大会、というサイクル。見るほうもプレーするほうも、4年も待たされて盛り上がらないわけがない。

僕が初めてワールドカップの試合を見たのは小学校4年生で、次に見たワールドカップは中学2年生だった。そのときの自分の年齢や状況ともリンクして、その時その時の印象に残った試合は今でもはっきりと覚えている。

82年、スペインW杯。僕は小学校4年生。
はっきりと覚えているのは、準決勝のフランス対西ドイツ。そう、このときドイツはまだ東西に別れていた。フランスにはプラティニがいて、西ドイツにはルンメニゲがいた。試合は延長戦に突入し、その後フランスがリードするものの、フィッシャーという選手のドラマティックなオーバーヘッドキックからの得点で西ドイツが土壇場で追い付き最終的に3-3で引き分け。その後PK戦へ。ここで、西ドイツのシュティーリケというDFの選手がPKを外して、その場に泣き崩れてしまう。10歳だった僕はこの試合を少年サッカーチームの監督の家でビデオで見せてもらったのだが、ああ、どっか外国のでっかいおっさんが泣いてる、髭を生やしたおっさんが泣き崩れている、ああ大人もこんなふうに泣くのか、と強烈な印象を受けたのを覚えている。この後の決勝戦は、PK戦を制した西ドイツとイタリアの対戦だったのだが、ディノ・ゾフというGKがキャプテンをしていて鉄壁の守備を誇っていたイタリアが優勝した。

86年、メキシコW杯。
僕は中学2年生だったが、このW杯が今でも一番面白かったと思っている。どのチームも攻撃がとても魅力的で、見ていて本当に面白かった。印象に残っているのはデンマークとフランス、それから、やはりマラドーナがいたアルゼンチンだ。
デンマークは、エルケーア・ラルセンというFWのまるで牛の突進のようなドリブルが見ごたえがあり、当時20歳そこそこだったラウドルップ兄とのコンビでその破壊力は抜群だった。見ていてあまりにも魅力的なこのチームがきっとベスト4あたりまで残るのだろうと期待してみていたのだが、予選突破後のトーナメント一回戦でなんとソ連(ロシアではなくソ連!)に3-4で早々と負けてしまう。
それから、なんといってもフランスだ。プラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデスという4人の中盤が絶頂期を迎えていた。僕はプラティニのことが大好きだったが、それ以上に守備的MF(今でいうボランチ)だったティガナという選手が大好きだった。とにかく、渋い。地味だが、中盤の低い位置でチームをコントロールする。しかも攻撃のときには、ボールがこぼれてそこには誰もいなくてああもったいないチャンスを逃してしまう、なんてときにひょろっと後から現れて、インサイドキックでチョコンとシュートして点をとってしまう。ああ、僕もそんな選手になりたい!と強烈に憧れていた。ベスト8で当時まだ現役だったジーコがいたブラジルをPK戦で破って準決勝に進むのだが、しかし、そんなフランスは、またしても!準決勝で!西ドイツに!また負けてしまうのだ。なんという運命!
決勝戦はアルゼンチン対西ドイツ。マラドーナはこの前の試合まではオレが主役だとばかりに大活躍するが、この試合はちょっと下がり目からボールの配給役に徹し、マラドーナのまわりが躍動して3-2というスコアでアルゼンチンが優勝。
この大会はマラドーナの大会だった、とよく言われるが、僕はフランスやデンマーク、それから特に派手さはないのにもかかわらず結局決勝戦まで残ってしまう西ドイツのタフさなど、マラドーナ以外にも魅力満載だったと思う。

90年、イタリアW杯。
僕は高校3年生。受験生だったこともあって、はっきり覚えている試合は少ないんだけど、しかし決勝戦はなんとも印象的な試合だった。
歴史はまたしても繰り返す。
決勝戦のカードは、4年前と同じアルゼンチン対西ドイツ。西ドイツはまたしても派手さは無いチームなのだが、マテウスや、それからサイドバックだったが中心選手だったブレーメを中心に手堅く勝ち進んで決勝へ。反則から得たPKをそのブレーメが決めて、そのまま1-0で西ドイツが優勝。PKの1点で試合が決まってしまうこと自体はつまらなかったが、印象的だったのはそのあと。マラドーナが、あのマラドーナが、神の子と言われたマラドーナが、大粒の涙を流して泣いている。神様ってのはなんて残酷なんだ。神の子をも泣かせてしまうのか・・・。

94年、アメリカW杯。僕は大学3年生。
1年前の93年は有名なドーハの悲劇だった。僕は、以前にも書いたが、ドーハの悲劇のショックで、酔っ払ったままチャリンコで民家の塀に激突しチャリンコが大破した。
W杯のほうは、ロマーリオとベベットの強力ツートップでブラジルが優勝する。
印象的だったのはトーナメント一回戦。この大会で優勝することになるブラジルと対戦した開催国アメリカの戦いぶりは本当にさわやかでひたむきで感動的だった。サッカー後進国アメリカに来た旧ユーゴスラビア出身のミルチノビッチが上手くまとめあげたチームだった。アメリカのスポーツというと、野球やバスケットボールで、ガムを噛みながら余裕かまして勝ってしまうイメージがあって僕はあまり好きではないが(でもBoston Red Soxは好き)、このW杯のアメリカ代表は本当にひたむきなサッカーをする良いチームだった。0-1でブラジルに負けた後で、インタビューを受ける選手たちはみな涙を流しながら、スポーツ大国と言われながらサッカーだけは後進国だった僕ら(アメリカ代表)は今日ブラジルを相手にここまでやったのだ、いい試合をしてブラジルと正々堂々と渡り合ったのだ、1-0で負けたが恥じることはない、と、涙を流しながらもみな胸を張ってインタビューに答えている。この試合の日は7月4日、アメリカの建国記念日。アメリカの国歌をバックに、整列したアメリカ代表の選手たちは本当にかっこよかった。

98年、フランスW杯。
忘れもしない、日本が初めて出場したW杯。
僕は社会人一年目。会社の食堂においてあった「ワールドカップ観戦 弾丸ツアー」のチラシを毎日見ながら、新入社員が無断欠勤して弾丸ツアーに参加したらどうなるんだろうか、やっぱりクビになるんだろうか、ああでも見に行きたい。と思いながら毎日新人研修や工場実習をやっていた。
印象的だった試合は、やはり日本代表の3試合全部だろうか。中田、名波、山口のMF、それから骨折しながらも走り続けたゴン中山。中田はこのW杯をきっかけに世界へ飛び出していく。

2002年、日韓W杯。
トルシエ監督への賛否が分かれる中で行われたが、攻守にバランスがとれていた日本代表は2勝1分けで予選リーグを突破しベスト16へ進出した。
この大会で印象的だったのはアイルランド代表。ロイ・キーンが直前の合宿で監督ともめて離脱してしまうのだが、もう一人のキーン、ロビー・キーンが大活躍し、またチームの全員が連動して活き活きとしたがんばるサッカーを見せていて、見ていてすっかりファンになってしまった。

2006年、ドイツW杯。
世界と比べても引けを取らないメンバーをそろえた日本代表だったが、けっきょく1分け2敗で予選リーグ敗退してしまう。
この時、僕はアメリカへ出張していたのだが、第1戦はサンフランシスコで時差ボケとの戦いに敗れて見そびれてしまった。第2戦も同じくサンフランシスコにいて、スペイン語のテレビ局の中継で見た。
第3戦のブラジル戦はClevelandの郊外にいたのだが、とある病院のなかでテレビで見たので良く覚えている。仕事をしていた部屋からトイレに行こうとして廊下に出たら、病院の中のテレビで中継をやっていて、なんとスコアは1-0で日本が勝っている。なんと!奇跡だ、奇跡が起こるかも!と思い、僕はトイレに行くのを忘れてテレビを見続けた。
ところが、そのあとすぐに同点にされてしまい、後半にも立て続けに失点し、結局、奇跡は起こらなかった。
この時期は僕自身が海外出張が多かった時期で、こう書くと大げさだが「世界でやっていくにはどうすればいいか」ということを日々考えていた時期だった。この時の日本代表は本当にいい選手がそろっていて、特に中田は年齢からしてもいい時期で、「世界を相手に一発かましてくれ、世界を相手に日本人はどうすればいいのか見せてくれ」、と思いながら僕は見ていたが、結局彼は地味な役割を必死にこなし汗かき役に徹したものの、チームは残念ながら負けてしまう。
中田がピッチの真ん中で横になって泣いている姿は忘れられない。

この時期から、僕はサッカーを会社の仕事やマネージメントとダブらせて見るようになった(別に僕はマネージャーではなかったけれど)。
サッカーにおける1プレーヤーの立ち位置と、会社における1エンジニアの立ち位置は、もう同じものにしか見えなかった。日本のサッカーチームは、監督から言われたことをみな徹底して言われた通りにこなすが、しかしそれだけではヨーロッパや南米のチームに負けてしまう。僕が前に勤めていた会社も全く同じで、会社の経営陣や部長、マネージャーに言われたことをその通りみな仕事をなんとなくこなすが、いつもそれだけではなにかが決定的に足りないのだ。
日本代表のサッカーでは例えばプレーヤーとプレーヤーの微妙な間をすばやく突かれて失点してしまうケースが今でも多々見られるが、僕が勤めていた会社でも、社員はみなそこそこまじめに言われたことをこなすのだが、ある社員と別な社員の間にあるちょっとした隙間の領域をどちらも黙って見ているだけで、結局それが原因で上手く出来あがらないというケースに何度も何度も出くわした。そういうときは決まって「そんな話は聞いてない」みたいなことを言う。社員もそうだし、部長や課長などエライ人たちもそう。みな、オレは指示されたことをミスなくちゃんとやった、だから悪くない、というのだが、選手と選手の間、エンジニアとエンジニアの間になんとなく実は見えている隙間を、日本のサッカー選手も、以前勤めていた会社のエンジニアも、なんとなく黙って見たままで埋めようとしない。議論はいつも事後で、重箱の隅をつつくような議論ばかりで、建設的な議論になかなかならない。
では、海外の選手は、海外の企業は、違うのだろうか?
なんてことを当時は考えていた。

(最近は、ソフトウェア開発手法とか、マネジメント手法などを日本の会社はかなり積極的に取り入れているし、以前勤めていた会社の仕事の進め方もかなり変わっているようなので、上に書いたようなつまらないコミュニケーションミスはもう日本の会社では起きていないのかもしれない。)

そんなことを、友人miya氏とABホテルでビールを飲みながら話したのは、去年の7月。
でもきっと彼は「ま、なんとかなるでしょ」なんて笑顔で言って、日本とか海外とかそんな壁はヒラリと飛び越えてしまうんだろうなぁ。キーになるのは、「ま、なんとかなるでしょ。やってみる」というセリフと、笑顔だ。

ということを友人miya氏から学んだ。


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by manakano1972 | 2010-05-02 23:30 | サッカー社会学 | Comments(3)
Commented by iku at 2010-05-03 16:34 x
こんばんは☆
先週は楽しかったね♪ 試合もこれぞBlueSって感じで(^^)
ワールドカップ、ワクワクです☆
Commented by miya at 2010-05-03 18:24 x
えーっと、Optimistic なmiyaです。(笑) 結構興味深い記事で、しかも玄人好みのNumberのようなlinkの仕方ですね。 私もNさん同様、サッカーは人と人とを繋ぐ大切な手段であると思ってます。サッカーは良くミスのスポーツであると言われますが、ミスを互いに補完し、助け合い、奪ったボールに対しては、仲間を信じて、的確な方向性を判断して走り、ボールを持っている仲間の選択肢を増やしてあげる...こんな作業の連続を繰り返しながら究極の総論である全員で失点を防ぎ、全員でゴールを奪うところにサッカーの本質が隠されています。仲間を讃え、時に叱咤しながらチームとしてサッカーの本質を求めていくところにサッカーの最大の魅力があると確信しています。Nさんが伝えたように、これらの作業は、様々な組織でのTeam buildingにlinkさせる事が出来ます。
そんな意味で、私も今年のワールドカップは楽しみにしています。いろいろ悲観的な事を言われていますが、弱点は他国にもあるので、自らを受け入れる事ができれば「何とかなる」と思いますよ。
Commented by manakano1972 at 2010-05-03 19:40
Nです。

> ikuさん
先週の試合はmiya氏のおかげですよ。今週からまた大変です。でも、がんばりますけどね。
ワールドカップはヤバイですね。楽しみですけど、卒業論文の危機。

> miyaさん
記事の中で突然登場させてしまいました。(笑) すいません。
ホントは続きで、「積極的に走ってリスクを冒せ、と言うオシムが登場。そんな上司がキミの会社にいるだろうか?」的な話の展開になる予定だったんですが、あまりに長くなりそうで、書くのも疲れたんでやめました(笑)。
ミスのスポーツ、ってのは面白い言いかたですね。人間もノーミスで生きていくのは不可能ですしね。

お、なんか、(僕の)出てくる文章がだんだんpositiveになってきたぞ。これはサッカーのおかげか、はたまた猪木のおかげか。それともmiya氏か。
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