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38歳の地図
2010年 10月 27日
こんばんは、Nです。

論文でなんであんなに苦戦したのか、とか、留学から2年たって思う自分自身の英語力のこととか、学生ビザを延長したときの苦労話とか、いくつかこのブログに書きたい話があるのですが、なんだかこまごまとしたことでまだバタバタしているせいで、なかなか書ききれません。
忙しいというほどではないのですがそれなりにすることがあったりして、あとはもともとの自分のtime managementの下手さもあって。

しかし、オーストラリアに来て2年と3ヶ月が過ぎたことになりますが、自分の英語力の伸び悩みには泣けてきます。ということで、今感じている自分自身の英語力のことについてちょっと書こうと思います。もちろん2年前に比べれば格段に上達しているのでしょうが、自分の現在のレベルと到達したいレベル(2年たって到達したいと漠然と思っていたレベル)のあいだにある大きなギャップに悩む日々を送っています。まあ、単純に努力が足りなかったのでしょうから、すべては自業自得なわけですが。
思えば初めてIELTSを受けたのが36歳の誕生日の前日で、このとき他のスコアは軒並み5.5から6.0だったのにspeakingだけなんと7.0を取ってしまいました。当時の僕は逆にreadingが非常に苦手で(このとき5.5)、語学学校の先生からは、日本人としては非常にめずらしいパターンだ、と、ほめられているのかなんなのかよくわからないコメントをもらったのを覚えています。その後、speakingの7.0なんてスコアは吹けば飛んでしまうような大したことのないものだということを大学院の授業が始まってから知るのですが・・・。

僕の英語はもともと半分ぐらいがいわばbody languageでして、こういっては変な話ですが“単語を知らなくてもある程度コミュニケーションできる”という、なんの能力なのか良くわからないコミュニケーション能力を備えていたようで、「英語が上達しなくてもそれなりにコミュニケーションできる」ことでその場その場をしのいできてしまったのかもしれません。そして今、そんな場当たり的な対応ではにっちもさっちも行かないという状況に遭遇することが多くなってしまいました。まあ、そんな英語力はしょせん海外旅行で困らないという程度だったということでしょう。

日本でサラリーマンをしていたころは、まわりの友人たちと比べると僕はどちらかというと英語はできるほうだったので、時々友人や後輩からアドヴァイスを求められることがありました。英語が上達するためのコツは何か?と聞かれるたびに「“英語を話すのが恥ずかしい”と感じてしまう心理状態から早く脱すること」「下手でも恥ずかしがらずに話すこと」と答えてきました。皮肉なことに、留学から2年たって、ネイティブの中にいるときや日本人も交えた多くの国籍の人たちと話すときに、英語が下手な自分を強烈に恥ずかしく思っている自分、ネイティブの中で英語を話すことを恥ずかしがってしまっている自分がいることに気づくことが最近多くなりました。当然、英語力は急には伸びませんから、また少しずつ少しずつ、人とのコミュニケーションのなかで上達させていくしかありません。それでも、僕らしい、friendlyな、決して乱暴でない、そしてできれば丁寧な、決して若者のようになれなれしくし過ぎることのない、そんな言葉を獲得していきたいと思っています。

僕が住んでいる家には、中国人が2人、イギリス人とドイツ人が1人ずつ、そして日本人が1人(僕)と5人が住んでいますが、UTSでenginneringの助教をやっている中国人と最近キッチンでそんな英語の話になって、彼は「中国からシドニーに来て7年になるが、込み入った仕事の話を考えるときは今でもまだ中国語で考えている、7年たってもこうだ。それでも面接やプレゼンテーションを乗り切らなきゃならない。そのためには、十分な準備をする以外に方法はない」と言っていました。まさに僕が最近悩んでいたことそのものズバリだったので、目からうろこが落ちるような思いでその話を聞きました。「それでもがんばる」それ以外にないんだなぁ、と。

さて、シドニーに留学してから3度目の誕生日を迎えました。一部の人たちには「イェーイ、28歳!」なんて言っているのですが、なんと38歳になってしまいました。大台まであと2年。とある友人からは“まだ2年!”と言われました。仕事に忙殺される日々の中で漠然と留学を考え始めたのが33歳、実際に会社を辞めて留学計画を実行に移したのが35歳。そのときはまだまだ時間はあるような気がしていましたが、留学も終盤を迎えて年齢も38歳となり、人生の折り返し地点をすでに通過したということに今更気づいている今日この頃です。

” 17のしゃがれたブルースを聴きながら
  夢見がちなオレはセンチなため息をついている ”


それから21年経ってしまった今でも、夢見がちでセンチなため息をついています。
しかしながら、いいかげん夢見がちでセンチなため息をついている場合でもなくなってきたので、そろそろ、いろんなもの、大事なもの、を見据えていかなければならないと感じています。

尾崎豊の“十七歳の地図”という歌をはじめて聴いたのは14、5歳だったはずですが、このとき、自由に生きる、なにものにも縛られない、といった彼のメッセージに強烈に心を揺さぶられたのですが、20年以上たって今、果たして自分の生きかたはどうなんだろか?もし日本に帰っても”自分は自分だ”と声を大にして言えるのだろうか?なんてことがふと頭をよぎったりして・・・。

・・・ま、いっか。ビール飲んでこようっと!
それでは、また。

下は、物理学科の反対側にある教育学部のビルの間から、物理学科を向いて撮ったものです。
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by manakano1972 | 2010-10-27 23:30 | ”17歳の地図”からの距離 | Comments(8)
夏休みの宿題を8月31日にする男
2010年 10月 22日
こんばんは。Nです。
ほぼ2ヶ月、このブログを放置してしまいました。すいませんでした。
定期的に読んでいただいていたかたもいらっしゃったかもしれませんが、ここまで更新しなかったら、もうみんな見に来てくれないだろうなー。。。
ま、いっか。そのほうが好きなことを勝手に書けるってもんだ。
と、いつもの意味不明なPositiveぶりを発揮して、ほぼ2ヶ月ぶりに更新しようと思います。

さて、8月後半から9月中旬にかけて、例の論文で、死ぬかと思いました。
でもこれは、タイトルの通り、僕が夏休みの宿題を8月31日に泣く泣く徹夜でやるタイプの人間だからなのだと思います。小学校の頃からなにも変わっていないという、なんとも情けない限りです。
そんなわけで、もっと人間ができている大人のみなさんは前もって計画的に進めてうまくいくはずなので、僕のこの「大変だった」という記述が、そのまま”オーストラリア留学でのcourseworkの論文が大変だ”ということにはならないような気がしています。

しかしながら、少しずつ思い出しながら、あのショッキングな出来事と、それを含めた苦闘の日々についてつづっていこうと思います。

論文提出期限は8月30日月曜日だったのですが、その前の週の水曜日25日、これまでオーストラリアでの日々を共に過ごしてきた愛しのVAIOくん(ちなみにtype Z)がまたもや意識不明、そのまま帰らぬ人ならぬ帰らぬPCとなってしまいました。
なんてこった!しかもこのタイミングで?!?!
25日の午前中に何度も再起動したり、リカバリディスクを試したり、いろいろやりましたが、VAIOくん意識不明から2時間たったころ「これはもうだめだ、なんとか論文提出までの1週間を乗り切る別な方法を考えなければ」と、方向転換を決意。いつもお世話になっているこの人この人に急いで携帯からメールをしたのでした。

教訓:持つべきものはPCを複数台持っている友人である。

というわけで、程なくしてお2人から「貸せるパソコンがあります」と、まるで神の声のような返事が!
ひとつはちょっと重ためのPCだけどEndnoteがインストール済み(Endnoteについては、こちらこちらをご参照ください)、もうひとつはちょっとスピードが遅いけど小さくて軽くて持ち運びに便利、というわけで、なんと2台ともお借りしてしまいました。

そして、このころにはほぼ1日おきに徹夜をするような状態で、27日ごろに、細かいところはまだまだではありましたが、なんとなく全体的にそれっぽくなってきて、さらに28日、29日と大学の同じ講座の友人のPCを借りたりして、そのまま講座のオフィスで徹夜をつづけ、supervisorの先生は週末だというのに家で僕の論文をチェックしてくれて、30日の朝にはなんとかそれっぽいものが出来上がりつつありました。その後、大幅変更後に先生にチェックしてもらっていなかったAbstract、Introductionなどの英語を講座の友達のカナダ人にチェックしてもらい、もう意識朦朧とする中で4部製本し、提出したのでした。
本当は、1部印刷してからそれで全体の最終チェックするつもりでしたが、もはや集中力が限界で、残りの3部も印刷して、しっかりした最終チェックはほとんどないままに提出してしまいました。
当然、直すのを忘れた英語やグラフタイトルなどが後から2,3ヵ所発覚してしまうわけですが。。。後の祭り。

PCのクラッシュですが、論文に関するデータは全部USBメモリに入っていたので問題なし、Endnoteのデータだけ影響を受けましたが、それでも以前に取っておいたバックアップデータがかなり最新に近かったので、なんとかなりました。
また写真がなくなっちゃいましたけど・・・。

その後、9月16日に学内での論文の発表プレゼンをしました。25分発表、5分質疑で合計30分なんですが、普通1時から2時まで、30分×2人の発表が行われるはずがこの日は僕一人だったので質疑は10分ほどしていたそうです。

そんなわけで、修士論文は修了、今は学生ビザを延長して、まだ病院や大学に出入りさせてもらっています。なにをやっているかは、もうちょっと固まってきてからここに書きたいと思っています。

まだいくつか書きたいことが残っていますが、今日はこの辺で。
下の写真は、プレゼンの準備中、たしか9月13日の月曜日だったと思いますが、夕方一度家に帰る途中で撮った虹です。右手にあるのはGlebeのTown Hall、虹はシティのどまんなかから上に延びているように見えました。

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by manakano1972 | 2010-10-22 09:51 | 専門の勉強、大学院の話 | Comments(7)