出発→到着
2008年 07月 17日
(updated 2008/07/23)

7月14日(月)
明日出発であるがパッキングがまだ全然進んでいない。
夜、月9ドラマのCHANGEを見ながらパッキング開始。キムタクってかっこいいなぁ。いい役者。とても僕と同じ1972年生まれの同じ蠍座とは思えない。
明日出発なんだけど、全然実感がない。
ちょうど2年ぐらい前の6月か7月に、ブラジルに負けたNAKATAが旅人宣言をしたが、明日から僕NAKANOも旅人になりますー。なんちって。

7月15日(火)
昨日は夜2時過ぎまでパッキング。今朝も7時前に起きてパッキングのつづき。いつもぐちゃぐちゃで、あー終わらない、と言いつつも最後はなんとかなっている、とは友人の香織嬢の談である。
その通りになって、家を出る15分ぐらい前にパッキング完了。
10:13の木更津駅発千葉駅行きの内房線各駅停車、その後11:00ごろ千葉駅発の快速エアポート成田にのって成田駅へ。成田行きはどの路線からも電車の接続が悪いが、しかも内房線からなのに、乗り換えが5分ぐらいで済んで、わりとスムーズに成田に到着。
成田では友人が待っていた。
出発の日は一人でひっそりと、ちょっと感傷にひたったりしながら出発するつもりだったが、まさか成田に見送りに行きたいと4人もの人に言われるとは思わなかったので、言われたときはかなり渋ったが結局みんなに来てもらった。結局5人も会社の友人が見送りに来てくれた。
彼らを待たせて、ルルとか正露丸とかムヒとか(木更津にいる間に”あせも”が出てしまった)、いつもの薬を買ってきた。
その後、見送りに来てくれたみんなと写真をとったが、あまり気乗りがしなかったので、たぶんそういう顔で写っているんだろうと思う。みんなに別れを告げてから出国手続きへ。
Korean Airを待つ間に、見送りに来てくれた友人へメール。
「すんません今日は来てもらってありがとうございました。では、人生のぶらり途中下車の旅に行ってきます。」
自分が進みたくて進む道ではあるが、しかし、やはり35歳という働き盛りというか、なんというか”いい歳”をして、会社生活から途中下車することは、なんとも言えない後ろめたさのような感情がある。その一方で、なりたかった”自由人”、”旅人”になれたといううれしさもあって、なんとも言えない複雑な心境である。

7月16日(水)
インチョン空港を出たのは夜の7時ぐらいだったと思う。Korean Airの機内食はあまり良くなかったが、夕食のビビンバだけはまあまあ美味かった。日本時間の11時前には寝たが、(日本時間の)3時ぐらいから朝の機内食が始まったようだった。僕はしつこく4時前ぐらいまで寝ていたが、4時(シドニーの5時)ごろに起きると、とたんに朝の機内食が来る。4時なんだから食欲なんて無いよ。と思いながら、フルーツとコーヒーだけ口にした。
朝6時ぐらいにSydney Kingsford Airportに到着。オーストラリアは荷物検査が非常にうるさいらしく、食べ物や土(靴などについている土)についてとてもうるさくチェックされると聞いていたが、僕はあっさり通過。以前にアメリカで狂牛病が出たときにビーフジャーキーを買ってきて、「なにも申告するものはありません」なんて言って通過したが、今回もそんな感じ。まいったな、ホテル到着は10時と連絡してあるが、これじゃあ朝の7時過ぎにはホテルに着いてしまう。まあ空港にいても何もなさそうなので、しょうがないからホテルへ移動することにした。シャトルバスのチケットはどこで買えばいいんですか?とたずねたカウンターがシャトルバスのチケット売り場で、そのままチケットを購入。シャトルバスは、ホテルの名前を言うとそのホテルの前で降ろしてくれるというシステムで、7時半ごろホテルに到着。時間は早いけど部屋は空いているということで入れてもらった。今日の予定は、携帯電話の入手と留学エージェント事務所でビザ変更やその他いろいろ相談。携帯電話の事務所は・・・なんと開くのが12時らしい。ちょっと寝ることにした。12時ごろに目覚め、あわてて起きて街へ。

シドニーの印象は、なんというか、アジア人が多いイギリスの町という感じ。
シドニー市街は本当にアジア人が、特に中国人が多い。中国人と韓国人。日本人も少しいるが、中国人と韓国人の比ではない。
ホテルからチャイナタウンが近いからかもしれない。

それから、シドニーは思ってたよりも喫煙者が多い。けっこう街中でタバコを吸っている人を見かける。歩きタバコ。これはちょっとした驚きだった。先進国の中で一番喫煙率が高いと言われているのは日本だが、その日本は最近歩きタバコが規制されたりして街中で喫煙者をあまり見かけなくなってきた。シドニーではやたらと見かける。きっと肺がんCT検診が認知されれば一儲けできるかもしれない。

そうそう、シドニーは今は冬だが、朝は気温7度~8度ぐらい。空港も寒かった。しかし日中は20度ぐらいで、日なたにいるとちょっと暑い。が、日陰に入るととたんに寒い。

携帯電話ショップのNittelさんで申し込んでいた携帯電話を受け取る。その後Chic Educationさんから言われたとおりJEIC(ジェイス)さんへ。僕はstudent visaが間に合わなかったのでETAS(観光ビザ)で来てしまったので、student visaへの変更が必要。面倒なことは全部今日やってしまいたい、とJEICさんに頼んだら、1時間半ぐらいかかって全部手続きをすることができた。全部ネットでできるので、ようはJEICさんのところのPCを占有してやらせてもらったということになる。あとは健康診断の予約などを取ってもらったりして、あと住む場所の探し方など、一通りアドヴァイスをもらうことができた。
食欲が無かったので昼メシを抜いていたが、JEICさんのところでいろいろ話していると、なーんか、頭に血が行っていない感じ。やっぱりメシはちゃんと食べないといけない。特にこういう不慣れなことをやっているときは。
夕方にちょっとパンを食べて、それからラーメンを食べるべく夜のシドニーへ出かけた。なんと味千ラーメンのシドニー店を発見し、ここでとんとろラーメンを食べた。そんなに美味しくなかったが、メニューを見ていると定食やチャーハン、餃子など一通りなんでもありそうだ。ここに来ればとりあえず食事には困らないだろう。

7月17日
午前中、ANZ銀行へ。口座の開設は10時(半?)から12時までしかやっていない。台湾から来たというAndyというFund Managerがいろいろやってくれて、口座開設完了。その後携帯電話ショップ、それから飛行機のチケットの相談のためにトラベル共和国へ。
その後Redfern駅まで電車で行ってからUniversity of Sydneyまで歩いた。駅から大学まではだいたい10分ぐらい。中をすこし歩いてみたが、でかい大学だ。建物が古くてなかなか良い。画像はそのうちUPします。

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# by manakano1972 | 2008-07-17 10:14 | その他の留学ネタ | Comments(2)
送別会と、出発の準備
2008年 07月 14日
こんばんは。Nです。
日付が変わって、出発前日となりました。
今日まで(13日まで)たくさんのかたに送別会をしていただきました。
自分では自分のことを、あまり人との関わりが上手くないと思っていて
時々人と接するのがいやになったりしますが、
この2,3週間は、僕はひとりで生きてきたわけではないのだ
ということを痛感させられ、月並みですが感謝という気持ちを
強く持った時期となりました。
8日、9日(火、水曜日)は風邪を引いてダウンしてしまい、
約束していた送別会をひとつ断ってしまいましたし、
ほかにも予定がつかずに断ってしまった送別会もあり、
感謝の気持ちと申し訳ない気持ちです。
こんなに声をかけていただけるとは思っていませんでした。
本当にありがとうございます。
飲みにいけなかった方とは、次回帰国時に、ぜひ一杯やりましょう。

そして、問題が。
連日送別会に興じていたため、出発の準備がほとんどと言っていいほど進んでいないのです。
どうしよう。
しょっちゅう行っていたアメリカ出張ぐらいの緊張感しかなく、ちょっとやばい感じです。
Chic Educationさんにご指導いただきながら少しずつ断片的にやってきましたが、明日は(というかもう今日ですが)トータル的に準備しなければなりません。
なにせ、出発前日ですから。

写真は、昨年(2007年)の5月にひとりで行ったNew York、
たしかEmpire State Buildingの展望台から撮った夜景です。今、僕のPCの壁紙になっています。
b0147248_1124617.jpg

uploadの制限があるので、かなり圧縮してしまいました。
一眼レフビギナーの僕にしてはまあよく取れたかなと思ってます。
その一眼レフカメラは昨日下取りしてもらったんですが、すぐ買おうと思っていた代わりの品を買わなかったので(そのお店の価格が高かった)、今は一眼レフが手元にありません。
次回帰国時に買わないといけないと思ってます。

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# by manakano1972 | 2008-07-14 00:53 | 日々の雑感 | Comments(3)
2008年 06月 29日
旅という字が好きなのですが、その感覚を上手く書けたような気がするので、どりんかーず室内合奏団の2007年演奏会の曲紹介文をここに再掲載させていただきます。

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W. A. モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)作曲
ディヴェルティメント ヘ長調 KV.138

 昨年(2006年)のワールドカップドイツ大会を最後に引退した中田英寿は、引退の決意を公表するにあたってホームページにこう綴った。“人生とは旅であり、旅とは人生である”――

――外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい。とにかくぼくはそう思った。もちろん青二才のぼくに大金のあるはずはないが、多少の金さえ持っていれば、あとは日本のスクーターでも宣伝しながら行けば、ぼく一人ぐらいの資金は、捻出できるのではないかと思うようになった。それがぼくをしてスクーター旅行を計画させた動機だったのだ。――これは、貨物船にスクーターを乗せてもらってヨーロッパへ旅立った24歳のときの小澤征爾。

――まだ仕事は上手くいかない。夕方までに上手くいかなかったら明日の帰国便を延ばさなきゃならない。夕方まで悪戦苦闘してみたがやはり今日も上手くいかなかった。日本人は狙われるから街中でタクシーを拾ってはいけないよと言われていたのだが、タクシーを拾って航空会社まで行ってつたない英語で帰国便の変更を頼む。そしてまたタクシーで仕事場まで戻る途中、運転手がバックミラー越しに話しかけてくる。「悲しそうな顔をしてどうしたんだ?スマイルだよ、なぁ、スマイル。」職場に戻って、帰ろうとしている事務のオバチャンとすれ違う。「あら、悲しい顔をしちゃだめよ、スマイル。明日はきっといいことがあるわ」励まされた。なんだかよくわかんないけど、感動した。――これは、出張でメキシコにいた28歳のときの僕。

――ぼくは断言しますが(少なくとも芸術や学問に専念している人たちで)旅をしない人たちは、まったく哀れな存在にすぎません。平凡な人は旅をしようとしまいと平凡でしかありませんが、優れた才能の人は(中略)もし絶えず同じ場所にいれば退化してしまいます。――これは、22歳のモーツァルトがパリから父にあてて書いた手紙。

 モーツァルトがその人生の約1/3を旅に費やしたことは有名な話である。6歳のときの父とのミュンヘンへの旅に始まってそれから17歳までの約10年は旅の連続で、この旅の経験は少年モーツァルトにとって特別なインプットとなった。10代のうちにモーツァルトは3度イタリアを訪れているが、1772年16歳のモーツァルトは2度目のイタリアへの旅から戻った時期にKV.136, 137, 138の3曲のディヴェルティメントを作曲した。この3曲をディヴェルティメントと分類したのはモーツァルト本人ではなく後世の研究家であるが、曲そのものはディヴェルティメントというよりはむしろイタリア式交響曲”シンフォニア”に近い。ザルツブルグ・シンフォニーなんて呼ばれることもあるこの3曲は、天才少年モーツァルトのみずみずしい感性に満ちている。

――僕の大学時代の後輩に、有名なアナウンサーを母に持つ女の子がいた。僕のとある友人は、娘を大学まで迎えに来たそのママさんアナウンサーを発見しすかさずサインをもらったが、その色紙にはサインとともにこう綴られていた。”人はいつも 旅の中”。勢いでサインをお願いしてしまったのだが、そのサインにそのとき彼は感動してしまった。――これは、僕の友人スッキー。

 人はいつも 旅の中。

第一楽章Allegro
第二楽章Andante
第三楽章Presto
(文責 HP管理人N)


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# by manakano1972 | 2008-06-29 12:16 | 日々の雑感 | Comments(0)
35歳の地図
2008年 06月 17日
~ 17のしゃがれたブルースを聴きながら
  夢見がちなオレはセンチな溜息をついている ~

さらに倍してプラス1の35歳になった今もまだ
夢見がちでセンチな溜息をついています。
日ごろお世話になっている方も、はじめましてのかたも、どうもこんにちは。
35歳にして脱サラ、学生になろうとしているNです。

もうあと何ヶ月かしたら36歳になっちゃうんですが、
なにを血迷ったか、この歳で学生になることに決めました。
結婚もせず親に孫の顔も見せられないなか
ついに無職となるという、これはもう親不孝街道まっしぐらです。
成り上がるか、それとも志半ばにして帰国してニートになるか、
はたまた彼の国で力尽き帰らぬ人となるか、
人生最大の無茶が始まります。

このブログでは留学をする決断、準備、渡航後と留学に関すること、
それから留学に関係ないことも含めて書いていければいいなぁ、
と思っています。

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# by manakano1972 | 2008-06-17 00:40 | ”17歳の地図”からの距離 | Comments(0)