2010年 05月 05日 ( 1 )
「ときめき」や「感動」と微分積分の話
2010年 05月 05日
おはようございます、Nです。
今回のエントリはハッキリ言って酔っぱらいのたわごとなので、ヒマなかただけどうぞ。お忙しい方は時間の無駄になりますので、読まないほうが良いかと思います。
それから、数学的厳密性はかけらもありませんので、そういうツッコミも勘弁してください。

さて、たぶんもう1カ月以上前のことだと思う。
とある友人に突然「髪をかきあげる藤原紀香は微分なんですね」と言われて、はぁ?何言ってんの?あんた頭おかしくなったんじゃないの?と思ってしまったが、どうやら頭がおかしかったのはその友人ではなく、前日の酒の席での僕だったらしい。そのセリフは、前日の酒の席で酔った僕が発したものだったようだ。
しかし、そんな話、自分ではよく覚えていない。詳しく聞いてみると、なんともアホな話だが、なんだか面白い。というわけで、ちょっとまとめてブログにUPすることにした。
ちなみに、もう一回別なところで同じ話をしているようで(それは、言われてみるとなんとなく覚えている気がするが、細かいところはこちらもあまりよく覚えていない)、そのときもブレずに同じ内容を話したらしい。

で、内容はというと、どうやら・・・

「髪をかきあげる藤原紀香に思わずドキッとしてしまうのは、微分だ(微分係数が大きい)。年齢や年収などの社会的立ち位置(yの値)によらず、その人の感受性とか、senseの、”傾き”、微分係数が大きい状態。逆に積分は昔の彼女のことを思い出したりしている状態だ。」

「すてきな女性にドキッとしてしまったり、あるものを見て感動したりする気持ちは、年齢や社会的ステイタスや年収など(これを社会の中での人のf(x)と定義したらしい。前述のyの値)にはよらず、その人の感情やセンスやときめきやその時の感受性による。それは微分して得られるf ’(x)、つまりそのときのその人の人生のカーブや感受性のカーブが、上を向いているか下を向いているか、による」

そんな話をしたようだ。

なぜ藤原紀香だったのかは、よくわからない。酒が入っていなかったら、たぶん北川景子とか永作博美とか田中麗奈とか言っていたんじゃないかと思う(ただ単に僕の好み)。杉本彩だったらセクシー過ぎて微分不可能とか言っていたかもしれない。

つまり、まあ登場する女性が誰だとしても、がんばっている女の子を見て好感を持ってしまったり、素敵な女性をステキだと思ってしまう感情は、そのときの社会的立場など(f(x))には関係なく、その瞬間のセンスとかときめきとか感動とかで、それはそのときの人生のカーブや感受性のカーブが上を向いているか下を向いているか、つまり微分係数f ’(x)なのだ。

それから、非常に社会的ステイタスが高くったって(f(x)が大)、日常がつまんなくって活き活きとしたものがなかったら(f ’(x)が小あるいはマイナス、つまりグラフの傾きが小さかったり、下を向いている場合)、日々はつまらないはずだ。
一方で、貧乏ヒマなしの状態だったり、金のない学生だったりしても(f(x)が小、ひょっとしたらマイナスかもしれない)、日々が刺激的で楽しかったら(f ’(x)が大、曲線が上に向かって伸びている状態)、活き活きとして楽しい、もしくは、しんどくってもやりがいを感じてがんばれる毎日を送っているはずだ。

芸能人が結婚の記者会見とかで、サイコーに幸せ!、なんて言っていたりすると・・・
  サイコーに幸せ=幸せの極大値
つまり、そのときf ’(x)=0で極大値。たぶんこの後でf ’(x)は負になって曲線は下降していくだろう。ってなもんで、2年もすれば離婚会見で、梨本さんや東海林さんに「離婚の原因は?」なんて質問を受けることになる。
現場の東海林さんいわく「離婚に至る転機は、いつだったのでしょうか・・・」
・・・この場合、”サイコーに幸せ”って言った瞬間。

微分方程式なんかは、こうだ。
微分方程式を解くと、答えとしてある関数が得られるが、必ず+Cという定数項がつく。これは中学校の数学ではy切片なんて名前がついているが、ようはx=0のときのyの値で、初期条件が与えられていればこの+Cの値も出るわけだが、まあここでは初期条件は与えられていないとしよう。そこで、感受性やセンス、話した時の印象などから、ある人の印象の全体像、profileを形作っていくと(f ’(x)からf(x)を求めようとすると)、その人のキャラクターとしてのf(x)はイメージすることができるが、たぶんその人の年齢とか年収とか社会的ステイタスのような”定数項”はわからない。ようは、人柄を考えた時に社会的”定数項”のようなものはそんなに重要ではない、ってことなんじゃないだろうか。
そう考えると、定数項Cを与える初期条件は、親が考える娘の結婚相手の年齢と年収みたいなものに見えてくる。

ここまでは、微分の話。

積分だと、こうなると思う。(細かく言うと、定積分の話です。)
ここで、関数をf(x)ではなくf(t)、つまり時間の関数と考えることにする。
よく、センター試験なんかで「t0からt1まで積分して面積を求めなさい」なんて問題が出るが、例えば、高校三年間ずっとある女の子のことを好きだった、とってもとっても好きだった、なんて話は、t0=15(歳)からt1=18(歳)までの積分で、計算結果の面積は「僕はこんなにキミを好きだった」の「こんなに」の部分を計算しているようなもんだ。

まとめると、微分は、その瞬間の社会的な状況に関係なく、その人のその瞬間のときめきや感動である。
一方の積分は、過去のある時期からある時期までの、やっていたことや経験したことかもしれないし、なにか感情的なものの蓄積かもしれない。積分は、良く言えばそれまでの経験や蓄積、悪く言えば昔の思い出を振り返って積み重ねている状態で、どっちにしても生きてきた過去がないと計算できない。
「酔っぱらいの微分積分学」としては、そんな風に表現することができそうだ。

ところで、微分はそのときそのときのときめきや感動で、年齢には関係しない、と書いた。しかし実際は歳をとると、とりうる微分係数の幅は狭くなり、受ける感動の幅は狭くなって感受性は鈍っていくんじゃないかと思う。僕のブログのタイトルは尾崎豊の「17歳の地図」から取っていて、37歳になっても17歳のころの感性を持っていたいという、僕自身の願望である。
その一方で、歳をとってくると積分できる範囲(過去)が自然と大きくなってきて、まあ、ブラームスの交響曲の3番とか4番とかクラリネット5重奏などの哀しい過去や避けられない運命みたいなものを投影するような音楽だったり、無限大まで積分するとモーツァルトのレクイエムみたいな人生をまるごと超越してしまう生と死とかいう音楽になるのかもしれない。ああいった音楽の地平線は若い時期には見えないかもしれないし、ある程度人生経験がないと、つまり積分できるような人生の何かがないと書けないんだろうし、聴いてもわからないんじゃないだろうか。

サッカーのラモスは41歳で現役を引退したが、その時のセリフが深かった。「41歳までプロをやってきたが、ほんの最近ようやくサッカーがちょっとだけ分かってきた。しかしヒザがもう限界だった」ヒザの限界までプレーして、41歳までプレーして、ようやく積分できるなにかが蓄積されるのだ。。。感受性が失われるのは早いが、その一方で蓄積される知識や経験はなかなか積もらない。人生って難しい。

・・・なんてことを、たぶん僕は酔っぱらって力説していたんだろうなぁ。
ウザイ、タチの悪い酔っぱらいだ。。。

しかし、卒業論文に行き詰まれば行き詰まるほど、ブログのネタが思い浮かび筆が進んでしまうというのは、なんという皮肉。。。

まあいいや、微分積分のおかげで、クルマは走るしロボットは動くし、飛行機は空を飛ぶわけです。
そんな微分積分に敬意を表して、歓喜の歌を。



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by manakano1972 | 2010-05-05 07:54 | しょうもないつぶやき